別れることの最大の辛さは未来を知れないことだと思う。
どんなに成長してどんなに素敵な大人になっても、知ることすらできない。
おめでとうも言えない。
別れることの最大の辛さは未来を知れないことだと思う。
どんなに成長してどんなに素敵な大人になっても、知ることすらできない。
おめでとうも言えない。
kml:
ちかごろ、複雑な利害関係を考慮するとか誰かのメンツを守るとか、そういうのが多くて、少し疲れた。
でもそういうことをしていると、まるでちゃんとした大人になったみたいで、なんだかうれしい。
いまだに「大人ごっこ」「社会人ごっこ」をしているような感覚がある。ほんとうは何か重要な資格が足りていないのに、誤魔化してちゃんとした人のフリをしてちゃっかり生きているような気分が。
もしかすると、それはわりと適切なあり方なのかもしれない、と思う。
ふだんの言動がたいへん子どもっぽい知りあいがいる。
彼はあるとき、すごくきりっとした顔で、実に適切なタイミングで、見事に正しい台詞を言ってのけた。
そうして彼は、その台詞の相手がいなくなった途端、へにゃへにゃと笑って、
「いま僕ちょうかっこよかった。大人っぽかった。立派な先生みたいだった」
と言った。正真正銘のおじさんなのに、妙にかわいいのだ。
そんなふうに、大人なんか「大人ごっこ」でいいんじゃないかと思う。
必要なときにだけ大人の顔をしていて、終わったらさっと取り外してしまえばいい。そうして、移り気な少年みたいに、反抗的な少女みたいに、かんしゃく持ちの小さい子みたいに振る舞えばいいんだ、と思う。
もちろん、他者への配慮は私的な人間関係でも必要で、それがなければ破綻するんだけれども、適当にそれを共有するのは、わりと楽しくて健康に良いことのような気がする。
子どもっぽさの出力の調整が上手なら、件の「立派な先生みたいだった」彼のように、ある程度公的な人間関係の中でも許容され、愛されさえする。まあ彼はちょっと極端だと思うけれど。
逆に、始終大人の、役割を持った立派な人であるような相手が、私は少し怖い。
職場では折り目正しい社会人であり、家に帰れば立派な夫や妻や父や母であり、常に周囲に配慮し、その場に応じた振る舞いを崩さないような人が。
あんまり強固な接着剤で役割をくっつけていると、剥がすときに中身が傷つくんじゃないかと思う。
剥がすことをしばらく忘れているとしたら、少し怖い。
剥がす必要が全然ないのだとしたら、なおのこと怖い。
知りあいの女の子と議論になったんだが、彼女が言うには、「男がいろんな女と毎週寝たら伝説のヒーロー扱いなのに、女が1年に2人の男と寝るだけで娼婦のような扱いなのは、公平じゃない」
だからこう言ってやったんだ。「もしいろんな錠前を開けられる鍵があれば、それはマスターキーと呼ばれるが、いろんな鍵で開いてしまう錠は最悪の錠だと言わなければいけない」
そう言うと彼女は黙った。
らばQ:男女の肉体関係はピッキングのようなもの? (via jun69) (via cobratwist) (via uessai-text)
これが後の「論理のすり替え返し」である。
(via chaosdevil)
834 名前:名無しさん@十周年 [sage] 投稿日:2009/07/31(金) 11:59:16 ID:xnEYV1IV0
幸せにしてやろうとか、してもらおうとか、
与え合おうとか、
そんな奴らは結婚してもうまくいかないよ。
この人となら不幸でも構わない。コレ最強。